はじめに-職業行為基準の意義(3)
規律委員会委員長 山本 高稔
3.職業行為基準の拡充と過去の不祥事
職業行為基準は、1987年に制定された後、数回にわたって改訂されている。最も広範囲にわたる改訂は2000年に実施された。当時、各国の証券アナリスト協会の国際協議組織であったICIA(脚注2)は、1998年に「国際倫理綱領および職業行為基準」(脚注3)を制定しており、この基準との整合性を図る必要性が生じていた。
このような世界各国の証券アナリスト協会における横断的な職業倫理規定の拡充の動きにもかかわらず、証券アナリストによる不適切な行為が証券価格形成に悪影響を与える事例が散見された。最も代表的な事例の一つに、2001年10月に発覚したエンロン事件がある。この事件では、アメリカの大手エネルギー会社エンロンが金融取引に関連して発生した巨額の損失を子会社の勘定に隠していたことが明らかとなり、同年12月には倒産に至った。この事件の前に、多くの証券アナリストが会社説明会と称して、エンロンの経営者から豪華な接待を受けていたことが明らかになっており、エンロンに関するネガティブな証券レポートを書きにくい状況になっていたのではないかと指摘されている。
エンロン事件は、会計情報の信頼性を大きく損なう重大な事件だったため、事件が発生した翌2002年7月には、内部統制の強化と監査法人の独立性を確保して投資家保護を図ることを目的として、SOX法(脚注4)が制定された。この事件では、エンロンの監査法人であったアーサー・アンダーセンがエンロンの損失隠しに深く関与していたことから、監査法人の独立性に関する規定が中心的な内容となっているが、証券アナリストの利益相反の問題についても改善策を講じることが求められた。しかしながら、証券アナリスト業務のように、高度な専門性が求められる業務に関する規制を法律で行うことは相応しくないとの判断から、証券アナリスト業務の客観性の確保については、関連する業界団体(アメリカではCFA協会)や証券取引所において適切に対応するよう求めている。
わが国でも、これまで証券アナリストが誤った数値に基づいてレポートを執筆し、そのレポートを投資家に配布した証券会社に対して、金融庁による行政処分が課せられた事例がある。これらの問題を踏まえて、2002年には職業行為基準において、(1)法人会員がその法人に所属する個人会員による証券分析業務の独立性と客観性を確保するよう努力すべき規定の追加(基準2(7))、(2)投資推奨等の業務に従事する会員に対して、投資推奨等を行う証券の実質的保有を原則として禁止する規定の追加(基準7(2))、(3)セルサイドおよびバイサイドの会員に対して、顧客の利益よりも会員の個人的取引を優先するフロントランニング行為を禁止する規定の追加(基準7(3))、(4)会員が証券発行会社の未公開の重要な情報を入手した場合に、発行会社に公表を働きかける義務に関する規定の追加(基準8(3))を主な内容とする改訂が行われた。これらの問題の背景や改訂内容については、本書の付属資料1「証券アナリストの職業倫理を高めるために」で解説されている。
職業行為基準は、主に顧客に対してリサーチ情報を提供する証券会社のセルサイド・アナリストの行動に関するものが多いが、対象範囲はもっと広い。職業行為基準の1(3)に示されている「証券分析業務」には、「投資情報の提供」以外に、「投資推奨」や「投資管理」も含まれている。そのため、投資商品の販売や資産運用を行う専門家も、職業行為基準の対象に含まれる。また、運用会社において内部のファンド・マネージャー向けに情報提供を行うバイサイド・アナリストも、職業行為基準の対象に含まれる。
2012年には、公募増資に伴うインサイダー情報を入手し、当該企業の株価が下落することを見越して保有株式の売却および空売りを行って利益の獲得を狙う運用会社の取引が相次いで発覚し、金融庁による行政処分が実施された。
また、2019年には、東証の市場再編に関する非公開の情報を入手し無断で自己の顧客等に伝達した事案、2022年には、金融商品取引法が禁止する相場操縦行為(安定操作取引)に証券会社の幹部が関与した事案が発覚し、それぞれ金融庁による行政処分や、証券取引等監視委員会による刑事告発等が行われた。
いずれの不祥事も証券アナリストの信用を失墜させる結果を招き、インベストメント・チェーンの中での証券アナリストの役割を十分に果たせなくなるリスクを伴っている。
(脚注2) International Council of Investment Associationsの略称。
(脚注3) International Code of Ethics and Standards of Professional Conduct
(脚注4) 正式名称は、Public Company Accounting Reform and Investor Protection Act of 2002.サーベンス上院議員(Paul Sarbanes)とオクスリー下院議員(Michael Oxley)が法案を提出したことから、両議員の頭文字を用いてSOX法と呼ばれている。