『「ブレイク」のすすめ』

「ブレイク(break)」という英語は、中学校で教わる基本単語のひとつです。素人の聞きかじりですが、単純に「破壊する」というだけではなく「トレンドを中断して変化させる」というニュアンスも含まれているようです。そのせいか、この英単語は案外前向きの使われ方がなされるように思います。例えば「コーヒー・ブレイク」という言葉にはそれを聞いただけで何やら人を和ませる語感を感じますが、「ブレイク」の概念は経済活動においてもなかなか重要な要素ではないでしょうか。
金融商品もそうですが、市場では個々の取引主体の判断や行動の集積がエネルギーとなりトレンドを作ります。一旦形成されたトレンドには慣性が生じ、行き過ぎや歪みをもたらすことも少なくありません。「正常性バイアス」という心理学用語があります。2003年に韓国大邱市で地下鉄火災の大惨事がありましたが、煙が充満し始めた車内で何事もないかのように座席に座り続ける乗客たちの姿をとらえた異様な報道写真をご記憶の方もおられるでしょう。「正常性バイアス」の典型例とされる写真です。人々の意識には地下鉄に安全に乗車しているという日常体験が慣性を伴ってインプットされているために「ほかならぬ自分自身にまさに今例外的な危機が迫っている!」という非日常は認識しにくいのです。「ブラックスワン」というベストセラーが金融危機と関連付けて話題になっていますが、あの時の韓国の地下鉄乗客の多くにとっては車両火災への遭遇は想像を超えた「黒い姿の白鳥」にほかならず、思考停止の罠に陥って逃げ遅れることになったのでしょう。
「リーマン・ショック」のキーワードに形容される今回の金融危機の背景や教訓については、すでに様々に論評されています。米国の過剰消費に世界経済が依存して「正常性バイアス」に陥っていたということなのかも知れませんが、本来理想を言えば、取引や相場の行き過ぎを遮断するメカニズムとして電流のブレイカー(circuit breaker)に当たる安全装置が作動することが必要です。一旦「ブレイク」してリフレッシュすることで不幸を最小化する知恵と言えます。例えば、株式市場においては値幅制限や信用取引の規制などのcircuit breaker的な制度が導入されています。しかしながら、経済活動全般に万全の安全装置を張り巡らすことには市場経済のダイナミズムを確保することとのバランス上「言うは易く…」の悩ましい側面もあるでしょう。
制度的な安全装置でがんじがらめにすることがそれこそ望ましい「ブレイク・スルー」まで阻害しかねないのだとすれば、自由な市場活動を補完する「警告役」の存在が重要です。証券アナリストには、トレンドに流されることなく冷静沈着で客観的な視点から的確な分析を行い発信して市場参加者に判断の拠り所を提供する「ブレイカー」の役割を期待します。発信の能力やセンスは非常に大切ですが、いやしくもアナリスト自身が「正常性バイアス」に引っ張られないように多少天邪鬼な分析の視点も日頃から磨いて頂きたいところです。
2009年11月
社団法人 日本証券アナリスト協会
理事 橋本 泰久
(日本証券金融株式会社専務取締役)


